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伝統はたぶん思い出じゃなくて

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みなさんご機嫌いかがでしょうか。ワシントンでは桜が満開のようですが、私は足がなく行くことができません。とてもきれいだそうですので、アメリカ滞在中に一度は行ってみたいですね。

さて今日は個人的に考えたことについてちょっと書き記したいと思います。外国の方に日本を紹介するとき、私はよくtraditionalやtraditionって言葉を使いがちなんですが、この伝統っていうのが何を指しているのか気になってしまいました。

伝統の個人的な定義

個人的には「特別な意味をもち、長い間受け継がれてきたイベント、技術、考え」という風に定義したのですが、浅草の三社祭とか、刀鍛冶等様々なものがこの定義に当てはまりますよね。基本的に伝統ってポジティブな意味で伝統の〇〇とかっていうと、歴史の重みが感じられますよね。

伝統っていうのは割と便利な言葉なので、私は頻繁に使ってしまうのですがよくよく考えると特に伝統でもないことを伝統と権威づけしてたこともあるかなって反省した次第です。

伝統は個人的な思い出とは違う!

というのも、自分の幼少期に経験したことや考え等をそれらが自身にとって長い時間が経っているから、伝統と勘違いしている節もあるのかなと思ったからです。

(基本的に)思い出はいつもきれいだからこそ、よきこととして伝統と(安易に)結びつけることとなく、一度反芻した上で発言したいと思ったまでです。

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