伝統はたぶん他者を排斥するものじゃなくて

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みなさんご機嫌いかがでしょうか。こちらは最近暑い日が続き大変です。そろそろ本腰を入れて期末の勉強にとりかかろうとは思っているのですが、なかなか身は入りません。

さて、今日は一昨日に引き続き伝統についてのお話です。一昨日は、伝統はたぶん思い出じゃなくてという記事で、自身の思い出や原体験をあたかも伝統として扱うことに対する違和感について述べました。

今回、京都での相撲巡業中に現地の首長が土俵で倒れられて、救助しに駆けつけた女性の医療関係者が土俵から降りるようアナウンスがあったということから、改めて伝統とは何なのかということを考えたのでちょっと述べたいと思います。

以前から土俵に女性をあげるべきではないという「伝統派」の意見と、女性差別だという「差別反対派」の意見は幾度となく繰り返されていたと思うのですが、その度に「伝統派」の意見が勝ってきたのですが、さすがに今回は人命と伝統を秤にかけたうえでの判断ですから、伝統を重視するのはどうかしていると思います。

そもそも、相撲は神事ということで、もし神がいるのであれば、「伝統を(形式的・盲目的に)重視し、救命技術を持った女性を土俵に入れずに人命を失わせること」と「ときに伝統を破ることになるかもしれないが、結果として人命救助につなげること」のどちらを支持するかは明確ではないでしょうか。

何のための伝統なのか、それが後世に残すにふさわしいものなのか、それをよく吟味しないと、伝統というより単なる悪習にすぎないのではないか、そう感じた次第です。

市長がご無事でありますように

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