みなさんご機嫌いかがでしょうか。今日も家でまったり疲れを癒していたり、大学の友達とご飯食べ行っていました。卒業時期で学生さんや親御さんでレストランもにぎわっていてなかなかいい感じでしたね。
さて、今朝ふと思い出したんですが、なんで自分は高校時代エンジニアを志さず、文系に進んだのかってことです。進路を考える上でエンジニアになろうかなって考えたこともあったのですが、当時はオフショア開発が今後進んでいってインドや中国のエンジニアが台頭し、日本のエンジニアの仕事がなくなってしまうという言説を真にうけたことが一つの理由です。それと高校時代は『ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない』なる映画が流行っていて、IT業界って3Kなのかなっていう漠然とした怖さもありました。
ちょっと話はそれるかもですが、当時、鉄道好きなクラスメートから、俺たちはJRには入ることができない。JRは鉄オタは求めておらず、お前らみたいな体育会系ばっかとるんだ(当時、私は運動部に入っていた)という話を聞いて、それなら文系でがつがつ働くのも悪くはないかもと思い文系に進みました。(話が少しずれている気もしないでもないですが、当時の私の知能はこんな感じでした笑)
話をIT業界に戻すと、確かに当時はIT企業における偽装請負とかSESとかが今よりも勢いがあって、ブラックな環境も多かったかもしれませんが、当時であったとしても(技術・能力さえあれば)ゆるく働ける環境もあったっていう、この業界の幅広さを知ることができなかったのは当時の反省点かなと思います。
それと当時は理系分野でバイオテクノロジー(ヒトゲノム解析など)がめちゃくちゃ流行っていて、その余韻が高校内にもまだ残っていました。ですから私も、もし理系分野で研究するならバイオかなと思っていたこともありました。高校の同期は食いっぱぐれないからって工学系進んだり、医学部進んだりしてましたので、そっちにも興味があって、あんまり情報系に馴染みがなかったこともあります。基本田舎だったので、学生の考えも弁護士になるとか、医者になるとか、看護師になるとか、公務員になるとか、想像しやすいものの枠を出なかったです。この点、企業勤めの方と話を聞いていれば少しは変わっていたのかと思いますね。(そもそも地元では全くエンジニアリングは栄えてなかったので、都会の文化的資本は偉大です笑)
今考えてみると、あの時エンジニアになるため情報系進んどけばって気も少しはありますが、それでも大学で学んだ学問には心躍らされましたし、文系で培った非認知能力や様々な人たちを巻き込んでいく力などはなかなか情報系に進んだだけでは身につきづらい点もありますので、こればっかりは何とも言えないですね。今まさに、よくわかんないレアなキャリアを歩めているわけですし笑
てなわけで少し遠回りしたことになるかもですが、日々頑張ります!
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