【書評】大島智子さんの漫画「セッちゃん」が、岡崎京子インスパイアですばらしい件【若干のネタバレ】

みなさんご機嫌いかがでしょうか。今日は大島智子さんの漫画「セッちゃん」を読んだ感想についてです。

画像、結末、セリフなどの直接的な言及は避けますが、作品を考察するにあたり、若干のネタバレを含みますので、これからじっくり読みたいと考えている方は閲覧お控えください。なお、大島智子さんの漫画「セッちゃん」だけでなく、岡崎京子さんの漫画「pink」 の若干のネタバレ、はるな檸檬さんの漫画「ダルちゃん」の一部ネタバレも含みます。

「セッちゃん」とは?

セッちゃん
大島智子さんの初漫画作品。Cancam.jpにて2018年に連載された。来るもの拒まず去るもの追わずの女子大生「セッちゃん」と気持ち功利主義的で他人にそれほど関心を示さない男の子「あっくん」との関係を中心にアンニュイかつ退廃的に描く。

物語の舞台は?

完全に高田馬場・早稲田大学周辺ですね。冒頭の見開きは、結婚式場のあるセレス高田馬場さんや、サンマーク出版さんやファミマの入っているビルのあたりから、神田川・西武新宿線を眺めた光景ですからね。(電子書籍版見開き4、5頁参照)

ちなみにこの周辺(ファミマの裏の通り)に岡崎京子さんが昔連載していた漫画の出版元である「白夜書房」があります。今は漫画よりも懸賞に力を入れているみたいですね。

 

他にも第8話のラストシーン(単行本123ページ)では、新目白通りの横断歩道をセッちゃんとあっくんが二人で渡るシーンがありますね。

そのほかにも高田馬場のロータリー、磯丸水産、ビックボックス、早稲田松竹や早稲田大学キャンパス(大隈銅像付近から大隈講堂を眺めた描写、キャンパスから中央図書館を眺めた描写)などが作品中に出てきているので、これらからセッちゃんやあっくんは早稲田大学の学生だと推測できそうですね。高田馬場駅周辺(落合寄り)に住んでいるんでしょうね。

大島智子さんは早稲田や高田馬場周辺に思い入れある方なんですかね?ちなみに磯丸水産はコロナの影響か先日閉店しちゃいました。。

冒頭が岡崎京子さんの「pink」と「リバーズエッジ」を彷彿とさせる

他の読者の方も述べているように、「セッちゃん」は岡崎京子さんの作品にかなりインスパイアされています。ほとんどの読者の方は「リバーズエッジ」との類似性を言及しているのですが、私は「リバーズエッジ」よりも、「pink」に影響を受けているなと感じたので、「pink」について多めに言及できたらと思います。

「セッちゃん」は現代版の「pink」です。それだけ作者の「pink」リスペクトを感じますね。

「pink」と酷似する点

「pink」のハルヲくんと「セッちゃん」の類似性

まず、第一話の一ページ目で「セッちゃん」がフィンランドの空港でテロに巻き込まれちゃって命を失ってしまうシーンがあるのですが、これは岡崎京子さんの「pink」で(ハワイ滞在のため)空港に行こうとしたハルヲ君が、パパラッチに追われて逃れようとしたところ自動車ではねられて亡くなるシーンに酷似しています。「pink」では大学生の男の子がなくなっちゃったけど、「セッちゃん」では主人公である大学生の女の子が亡くなっちゃったわけなんです。

「pink」ではハルヲ君が小説家になるという夢を叶えたからこそ亡くなりましたし、「セッちゃん」では、(今まで男の人に頼りきりで自分の意志で行動してこなかった)セッちゃんが初めて(あっくんに会うためフィンランドに行くという)自分の意志で行動し、その夢を叶えたからこそ、命を失わなけらばならなかったんですよね。(それ以前にも「セッちゃん」は妹の差し歯を買うためバイトに励みますが、その試みは結局失敗に終わりましたから、フィンランドに自分の意志で行くというのが初めて自発的に叶えた夢ということになりますからね。)

ちょっと話は脱線しますが、基本バットエンドから始まるのは西島大介さんの「ディエンビエンフー」っぽくもありますよね。

「pink」のワニと「セッちゃん」の差し歯の類似性

「pink」では主人公がペットとしてワニを飼っており、そのワニの食費がかかってしまうことから、主人公は夜の仕事しているんですよね。ワニは主人公の生きる目的みたいなところがありますし、物語自体はかなり乾いて重い内容であるものの、ワニという存在の異質さ(非日常性)によって寓話性が生まれてくるわけなんです。この構図は、「セッちゃん」の差し歯にも当てはまります。「セッちゃん」では歯の折れてしまった妹のために差し歯を買ってあげると約束して、そのためにバイトを始めるんですね。大学生をメインにした漫画で差し歯が出てくるのってあんまりないのでその辺りに寓話性(非日常)を感じましたね。非日常については、本作ではデモやテロを中心に据えているのでそちらでも詳しく描写されており、本作のメインテーマとなっています。「セッちゃん」第9話にて差し歯を買う必要がないとお母さんから告げられて途方に暮れて(あるいは目標を失って)泣き出すセッちゃんは、ワニを失って途方に暮れてしまう(つまり、ワニ飼うために仕事していたのにその必要もなくなっちゃった)「pink」のユミちゃんにそっくりです。

差し歯を買ってあげる女の子についての作品はいまだないかと思いますので、このあたりの非日常性はすごいなと。

「リバーズエッジ」と酷似する点

こちらはほとんどの読者がお気づきかと思いますが、第二話一ページのあっくんがクラスメートの変わり果てた姿を河川敷で見つけてしまうシーンなんですが、まんま岡崎京子さんのリバーズエッジです。こんな直接的な表現でもいいのかなって思うくらい同じですね。「あっち側」と「こっち側」といった境界を示す言葉も物語中にたくさん出てきますよね。

それほど、大島智子さんは岡崎京子さんに影響を受けているということなんでしょうね。スクリーントーンをあえてずらして粗く貼っている様は岡崎京子さんそっくりですからね。

デモのくだりは、かなりリアルさに欠ける

全体的に見てとても面白かったものの、唯一デモのくだりだけはちょっとリアリティにかけるなと思いましたので以下に述べさせていただきます。

作者も以下の点を承知の上で非日常を演出するため、あえて現実とは逆の書き方(デモ支持:多数派、ノンポリ:少数派)をしているのかもですが、ちょっとこれはファンタジーとしても行きすぎかなと。

(いわゆる高学歴の)学生はデモを冷ややかにみている

今回の作品でいまいち感情移入できなかったのはデモのくだりです。作品中で、あっくんの元カノがデモにのめりこむシーンがあるのですが、(少なくとも2010年代においては)これはかなりリアリティに欠けるなと。(私の大学でもそうでしたが)そもそも大学って一部の教授、職員さん等アカデミア関連の方々や生協のスタッフさんはそういった思想にシンパシーを感じている方が多くて、学生オルグしたりしているイメージがあるのですが、一方の学生は就職活動という人生でとても重要なイベントが控えているわけでして、それを天秤にかけたときにデモに参加する方はほとんどおりません。(デモする側からしたら、とても功利主義的にみえて日和ったとか言われそうですが、実際こんな感じなんです。)また、デモそのものについても、こんな方法で世の中変わるわけないだろうという斜めに構えている人が多いわけです。ですから、あっくんの元カノが(学費値上げ反対闘争やLOVE&PEACE的)デモにのめりこむシーン(座り込み続ける等)というのは、いくら早稲田が舞台とはいえ、とても奇妙に感じました。

講義ボイコットのくだりも非常に全体主義チックで、高学歴の学生はこんなことしないんじゃないかなって思いますね。ちゃんと社会と折り合いつけつつ、その上で社会課題の解決を目指していくのが現在の潮流なのかなと。

それと早稲田は10数年前にはいわゆるシュプレヒコールとかキャンパス内で行ったり、大学当局の言うこと聞かなくて一部キャンパス占拠しちゃうような過激派は大学側が排除しているはずですので、こういった思想にシンパシーを感じる学生は今やほとんどいないでしょう。このことからキャンパス内でのデモを作中で描いているのは、少なくとも現代という設定ではちょっと違和感ありますね。

舞台設定をリアルにするのであれば、せめて別大学、たとえば法政大学の一部過激派の方が幾分リアリティあるなと。あるいは時代設定をhistorical ifという形で1960年代に、または近未来にしたら、もしかしたらこういうこともありえるかもってなるかもしれませんね。
現在の香港みたいに今デモしなければ、自分たちの存亡にかかわるということもないですからね。学費撤廃闘争のためにあれだけデモする理由がないんですよね。そもそも賢ければ奨学金もらえますし、国のローンだってあるし、仮にもらえなかったとしてもバイトしながらでも大学行けますから。
デモよりも、現在のコロナ禍の方が、人と人との急な分断、平時と非常時の切り替えを端的に表しているように見えましたのでここは伝染病とかが舞台装置であった方がよかったのかもしれません。外出をみんな自粛している中、いつものように濃厚接触を続けているせっちゃん、そして男に拒否される、みたいな感じです。今の若い人たちデモには行かないだろうと思うので、現実は創作よりも奇々怪々なのかなと。

社会を変えるためにデモではなく、議員事務所、NPOやNGO等でインターンしている

ちなみに、一時期流行していた某学生主体のデモには早稲田や他の高学歴の学生はほとんど参加していなくて、そういった社会課題に関心のある人はどういったことをしているかというと、大学やサークル経由で議員事務所にインターンしたり、国際ボランティア系や災害ボランティアのサークルに入ったり、NGO等でインターンしています。なぜなら、彼らはデモが有効ではない、それでは世の中変わらないことをはっきりと認識しているからなんですね。

非日常感を演出をするために、デモのくだり等を出したと思うのですが、それにしても(例えば震災後を意識したとしても)ちょっと真実味に欠けるのかなっていうのが正直なところです。

結末が分かっているのに泣いた

はじめっからバットエンドとわかっているんですが、それでもセッちゃんは自分の意志で初めて行動してその夢を叶えたわけで、ある意味ハッピーエンドかなって「あっくん」っぽい感想を持ちつつ感慨にふけりましたね。

セッちゃん、名作ですね。次回作もバンバン書いてほしいです!

あっくんは「セッちゃん」失なっても生きていけそう

あっくんは、もともとそんなに人に関心はなく、それでいて功利主義的で要領よくいろいろこなせるタイプなので、たぶん「セッちゃん」失なってもそれほど気落ちすることなく生きていける気がします。これは、pinkの主人公「ユミ」ちゃんにも当てはまって、最初はハルヲ君失ってちょっと引きずるだろうけど、すぐ元通り生活できちゃうのかなと。実際、セッちゃんを失ったときにあっくんが自分なりに理由づけて納得していた(例:今まで流されながら生きてきたセッちゃんだけどもう流されるところはなかったのかもしれないのくだり)ので、やっぱり生きていけるのかなと。

 こういった都会でちょっと壊れちゃった若者の不安定さを描くのは岡崎京子さんが得意としていたことでありますし、大島智子さんの作品からもひしひしと感じ取れたのでとても良い作品だと思いました。

「ダルちゃん」より「セッちゃん」の方がスマートかなと

2019年読んだマンガの中で個人的に面白かった2トップが「ダルちゃん」と「セッちゃん」なのですが、どちらかというと「セッちゃん」の方がスマートで読後感がよかったですね。

というのも「セッちゃん」は自分の欲(食欲など)に忠実で直接的でそれ故に他人から後ろ指指されちゃったりすることもあるけれど、「ダルちゃん」もポエムの皮をかぶり間接的にしているだけで欲(表現欲・承認欲求)のために他人のプライバシーを犠牲にすることも厭わずに自己を押し通すことから、結局本質的には、やっていることは「セッちゃん」と大差ないと感じたからです。この欲に対する自己認識っていうのは、「ダルちゃん」よりも「セッちゃん」の方が本能的かつ無自覚にできているのであって、「ダルちゃん」はなんていうんだろう、欲への危うさに気が付いてない(あるいは気づいていてもむりくり正当化している)感じがするんですよね。「気づいてるよ、ヒロセ君と別れるときにひしひしとその危うさに痛感している」なんて反論もあるかもですが、その「ダルちゃん」自身の自己正当化が作品の中でにじみ出てるような気がしてちょっとなと。このあたり「ダルちゃん」かなり不器用な性格なのかなと。

「ダルちゃん」より「セッちゃん」の方がかなりスマートに感じましたね。「セッちゃん」みたいな人、実際に存在したらめちゃくちゃ賢くて器用じゃないとあんな芸当できないですからね。

後世に語り継がれる作品

岡崎京子さんのように本作品も今後後世に語り継がれていく作品だと思いますし、それくらい傑作なのでこれからも大島智子さんの作品は要注目ですね。

今後大島智子さんの新作出たらまた購入する予定です。

ということで今日はこんな感じです。

あわせてお読みください!